2011/12/11

『気狂いピエロ』

Pierrot Le Fou 1965年 フランス/イタリア



監督/ジャン=リュック・ゴダール
ジャン=ポール・ベルモント、アンナ・カリーナ



★★★★



痛々しい映画。



ただし、あまりに名作の誉れ高いので、自分の★が自分だけの判断なのか自信がなくなる。



ゴダールの映画を見るより先に、ゴダール解説を読んでいるほうが多いのは後から追いかける世代の(仕方のないことだ)かなしさよー。この時、アンナ・カリーナとは離婚寸前だったのだったかしら、そういう私生活の愛の終わりを前提に見てしまうのが、良いのか悪いのか。作品だけを見たいのに、どうしても介入してきちゃうなぁ



小さい頃に見た『勝手にしやがれ』では、日本人にはない濃い表情にカッコよさを見つけられなかったものだった。今ならわかる、ベルモントはいい男だ・・・
この作品中では、昔の恋人であるマリアンヌへ、社会的な自分を捨てた先の光明のように気持ちを向けていたのが、痛々しく切ない。



見終わって、物語の筋を思い起こし、まぁそういうことかな・・・と理解はできるものの、冒頭のベットで死んでる男がなんなんだよ、ってしばらく良くわからなかった。
死体が家にある女とパリを脱出、ガソリン代を踏み倒すにしても、後半の金の取り合いにしても、とても暴力的なことに、戸惑ったままでした。



どう考えても、マリアンヌは悪い女であって、かつ結ばれない相手だった。最期に謝罪したにせよ、彼が望んだ二人はひとつ、にはなれない絶対的にすれ違っている二人のまま。



ずっと、「ピエロ」って呼ばれるたびに、「オレはフェルディナン」と何度も答えるのも、これまた痛々しい。名前は世界からそれを切り離し、特定するものなのに、男の望んだもので自分を見てないことが、何度も何度も繰り返される。



赤い色、青い空、風の音と、盛り上がった途端にふっと切れる素敵な音楽。跳ねるように歩くマリアンヌに翻弄される喜び。



時間が時々、前後しているらしいスクリーン上の展開。



こういう断続的な動きそのものが、男の見ていた世界のよう。殺人や家庭を捨てたことも、マリアンヌとの世界の前ではかすんでいるらしい。



最期に自分の家に電話したのが、現実のそれまでの自分との接点へのコンタクトで、しかしもう戻れないことを確認してしまったともいえる。
ダイナマイトを頭に巻いて、導火線に火をつけてから、慌てて消そうとする手のショットに痛々しさもここまで来ると、確信犯ですね。ゴダール、どっぷり痛々しさを発散してくれよ!という気分になりました。





『マイレージ、マイライフ』

Up in the Air 2009年 アメリカ



監督/ジェイソン・ライトマン
ジョージ・クルーニー、ヴェラ・ファーミガ、アナ・ケンドリック



★★★★



解雇宣告人の仕事で年間300日以上を出張で全米の空を飛びまわっているライアン・ビンガム。密かな目標は1000万マイルを貯めて、飛行機に自分の名前をつけてもらい、フィンチ機長に会うこと。
「バックパックに入らないものは持たない」主義者で、同内容の講演も頼まれるほど。
すべて合理的で、あとくされなく、地上の重力から離れた生活を体現し愉しんでいるはずだった。



わざわざ出向かずとも、ビデオ電話で通告すれば出張費が抑えられる、と新方式を提案した新人を連れ、実際の現場を見せていくライアン。
そしてホテルで出会った同じような雰囲気の女性と出会い、軽い付き合いのはずが、自分に欠けているものは、愛!と、求めるように。けれども、それは彼女のつくっているファンタジーで、実際には夫や子どもがいた。



新人の愛を信じる若い心と、悟ったつもりのオトナの二人。



ハッピーエンディングとは少し違うラスト、中年男子の途方にくれつつ、次の一歩に踏み出したい表情のジョージ・クルーニーが良かった。
思うままにいかないことも含め、何か違うものに変化しようとしているのだから。
空港にいれば、全てを地上に置いて自由になれそうな気がする。ビンガムはそんな気分を味わっていたのかも。



出来るだけ、しがらみから遠く離れて生きていたいのは、私も同じ。彼の華麗な生活に憧れないわけではないけれど、誰かに必要とされていたいとも思う。



ジョージ・クルーニーがとても普通の中年男性に見えていたのが素晴らしい。オーラ消せるタイプなんだって気づいてませんでした。カッコいいけど、田舎町の結婚式にも溶け込めるのね。見直した。



ヴェラ・ファーミガ
30ちょっと、の年齢設定だったのだけど、ものすごく色気があって参りました。超美形じゃないのに、スタイルがいいのと、表情が少しまったりとしてて、素敵。



ほぼ同年齢だというのに、自分との違いにがっかりしまくり・・・