2013/08/08

『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』斎藤環

2012.6 角川書店 ISBN:978-4-04-110116-2

★★★★

第一章の冒頭に登場するエピソード。2009年の天皇即位二十周年を祝う国民祝典で、奉祝曲を披露したのがエグザイルであった。10年前の十周年記念のときは、YOSHIKIだった。

知らなかったけど、そうなのか。つまりは天皇陛下へお祝いしたい人たちを考えたときに、上記の二つの歌手が挙がったということなんですが、ここまで「ヤンキー的なもの」が浸透しているのだという例でした。もちろん右翼とヤンキー的なものが通じやすいからなんですが。

不良の<ヤンキー>だけではなく、ギャル、白州次郎、高橋歩、ヤンキー先生・義家弘介、橋下徹大阪市長、ジャニヲタなどをめぐりながら、日本に広がる「ヤンキー的なもの」への考察をしています。

・ファッション。舐められないよう威圧感を出すことが大事。、態度や格好がどんどん逸脱していく。フェイクとしての伝統性と、目立つための様式美。本質のなさ。
・本宮ひろ志テスト(著者考案の、ヤンキー度をはかるテスト。内容はあかされないが、本宮作品の主役ができるかどうかがポイント)
・対立ではなく、あらゆるものを取り込んでいく力は、母子関係がベースである。から、ヤンキーは母性的であると考察。男が女性もののサンダルを履く、にも見られるらしい(そうなの?)
・オトナになると家族主義になる。

気合が大事とか、「やんちゃした」過去を語るとか(勲章みたいに言われも困る)、母ちゃん好き(迷惑かけといてある一定を過ぎると母ちゃん大事教になる)とか。
そうそう、と頷くことばかりであり、かつ私はこれ全部キライなんだよと思う。最近は減っただろうけど、オトナなんて!と反抗する少年たちって理解できなかった。いやなら関わらなければいいのに。

そのくせヤンキーは現実主義。夢は現実のなかで描かれる。分かりやすい権力志向とか、上昇志向とか。ああ、これも私にはないものだった。いや、世界の捉え方が現実的であるからこそ、親とか学校とかに反発したくなるのか。

札幌で開催されるYOSAKOIソーランも「ヤンキー的なもの」として挙がっていて、納得。だからキライなんだな。意味不明の衣装、でかい音、気合いれる踊り子だち。ああ、苦手。

日本人が古来より(古事記を解きながら)、「つぎつぎになりゆくいきほひ」が日本人の根幹であるといった丸山眞男をとりあげ、著者訳すると、
気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ」となる。

いまここ→いまここ→いまここ がずーっと連続していく状態だそう。
例えば、天皇。天皇の天皇たるものが、次々に移っていくという見方。例えば、伊勢神宮の式年遷宮。なるほど、確かに感覚は分かる。元のコピーである新しい社を、オリジナルとして扱う方法である。
それがヤンキー的文化にもあるし、当然、現日本全体にもあるのだということだ。空虚なものがつながっていき、本質がないものが伝統として受け継がれている。

それから、ヤンキー的なものの問題点としては、反知性主義があるという。感情が優先され、何をするのかではなく<がんばっているから>応援する、という態度につながるのだと。選挙ではそういう投票が多くみられる。何をしようとしているのかが問題のはずが、<気合>で人物を評価して投票さえする。

なかなか面白い本でした。この先もこの考察を続けてほしい。

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