2012/03/25

『隠れた脳』シャンカール・ヴェダンタム

ISBN:978-4772695251 インターシフト 2011年



★★★



本人に意識されない脳の働き、思考や行動に強い影響を与える、いわば<隠れた脳>がもたらす、バイアスについて書かれたもの。



素人に理解しやすい言葉で書かれていて、読みやすい。



すべて意識して選択し、行動していると思い込んでいる生活に、どれほどの強いバイアスが影響するかについて実例を挙げて書いています。



レイプの被害者が、目の前にいた犯人を間違えてしまい、冤罪を生んだこと。
犯罪の現場に居合わせた多数の人が、誰も被害者を助けようと動かなかったこと。
災害やテロの現場で、当事者が避難すべきときに、しなかったわけ。
人種差別が生まれるわけ、可能性について。



などなど。
おきること全てをいちいち確認していたら、生活が成り立たない。が、あまり意識せずとも出来ることは、隠れた脳が担当しているという。
周りと同調したがり、問題を早く解決したがる隠れた脳の働きによって、本人も気づかないうちに間違いを犯していることが多いのだと指摘しています。



自分がいま思考したこと、意識て行っていると思い込んでいることは、もしかして脳のバイアスが影響しているのかもしれない、と検証してみることが出来れば、少しはマシな判断ができるかもしれないのですね。






2012/03/23

『ザ・インターネット』

The Net 1995年 114分



監督/アーウィン・ウィンスラー
サンドラ・ブロック、ジェレミー・ノーサス、デニス・ミラー、ダイアン・ベーカー



★★★



面白かったわぁ いろんな意味で。
インターネットが普及し始めたほんの最初の頃のネットの話。
(ちなみに、1995年だと、私は一太郎使ってたね。パソコンじゃなくて、ワープロで卒論書いてた。ネットじゃなくて、パソ通って感じだったと思うわ・・・遠い目)



テロ組織が探しまくるのが、3.5インチのフロッピーディスク・・・フロッピーディスクに入るだけの情報で、犯罪の証拠が全部入ってった(ほんとか?信じられないなぁぁ)



サンドラ・ブロックは、いつもの巻き混まれちゃう、テンパリ気味のいい子で、美脚も見せてくれます(彼女の足、きれい)



テロリスト、なのかな・・・ セキュリティシステムを販売する会社が、銀行や政府機関、航空管制をハッキングして、おお、セキュリティシステムを導入せねば!と自社製品を買わせる。



しかし、その製品にはこっそり穴があって、テロリストたちは導入した会社や組織に入り放題になる、という筋書きでした。



他の人が穴を見つけてくれるだろうに、などと思うけれど、1995年の私には分からなかったような気がします。



携帯電話にはアンテナついてるし、ネットに繋ぐときはジージー鳴ってるー。なつかしい。
コンピュータで生活するようになるのは今も同じながら、すごく高度に、ハンディで、素人でも使えるものになってたのだなぁ



今日、iphne4のCMで、音声で「ママからのメールは?」「今日の○○社との予定は・・・」などというと、iphoneが音声で答えてくれる(もちろん文字でも表示されてるけど)のが流れてて、
HAL9000がついに家庭に来たような衝撃ー。







2012/03/18

『ヘンリー五世』

Henry V 1989年 イギリス



監督/ケネス・ブラナー
ケネス・ブラナー、ポール・スコフィールド、イアン・ホルム、デレク・ジャコビ
ジュディ・デンチ、エマ・トンプソン、リチャード・ブライアーズ、
ロビー・コルトレーン、クリスチャン・ベール



★★★★



現代の人である語り手が、シェイクスピア劇を案内していく形式で、場面が変わるポイントで数回登場する。ので、シェイクスピアの劇の台詞が時代がかっていることに違和感なく見れた。



ケネス・ブラナーが若くて、ほんとにケネス・ブラナーかな・・・と思うくらい。他の出演者も、みな若いなぁ



イギリス人からみるフランス人のプロトタイプってこういうものなのか? 服装が英国側の数倍きれいなのであった。英国人っていうのは、垢抜けないのが信条なのかもしれない。泥臭く、男くさいのが武人の誉れなのかしら。



<聖クリスピンの祭日の演説>も、文章でも意気が上がるものだけれど、発声してるのをみると、ますます鼓舞されますね・・・ まさに劇的な場面でした。



原本は読んでいないものの、けっこう端折って物語が進行しているようでした。上演してるものも見たくなるような、演劇的な映画です。







2012/03/17

『(500)日のサマー』

(500) Days of Summer 2009年 アメリカ



監督/マーク・ウェブ

ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、ズーイー・デシャネル



★★★☆



映画そのものは、うーん、うーん、不完全燃焼の気分がもやっと残るけれど、ジョゼフ・ゴードン=レヴィットが、ど真ん中ストライクの容貌で、見てる間、とても幸せだった・・・



男女関係って、というか、たぶん男側からみた女って、こういう理不尽さを振りまく存在なんだろうなぁ
多かれ少なかれ、サマーみたいなことを言ったりしたり、経験あるもの。



つきあってるとか決め付けたくない、楽しいんだからいいじゃないか、とか。
自分からどうする?って聞いたのに、自分の思う答えじゃなかったら拒否するとか。



よくある失恋話なのだけど、500日、と区切って時間が前にいったり後にいったりするので、飽きずに見てました。



あと、衣装が可愛い! アニメーションが一部入る演出も、ファンシーで好み。恋はファンシーってか・・・








2012/01/01

『ふむふむ おしえて、お仕事!』三浦しおん

ISBN:978-4104541072 2011年 新潮社



★★★



特殊技能をもって働く女性へのインタビュー。



靴職人、ビール職人、染織家、活版技師、女流義太夫三味線、漫画アシスタント、フラワー
デザイナー、コーディネーター、動物園飼育係、大学研究員、フィギュア企画開発、現場監督、ウエイトリフティング選手、お土産屋、編集者



相手を型にはめたような見方をせず、たまに単刀直入に質問していて、ひとりひとりの紙幅はそれほど多くはないのだが、何となく人となりが見えるよう。



著者の得意分野=興味のある対象では、とくにキラキラしながら聞いていたのだろうという感触です。ふむふむ。



一途に目指した方もいれば、何となくの方もいて、出会ったお仕事と自分がうまく合うかはやってみなければ分からないものと、つくつぐ思います。
これから社会に出ようという時に読むと、また規定路線じゃなくても大丈夫って気になれるかも。



それぞれ数枚の写真が掲載されているが、モノクロなのが惜しい。もっと大きくてカラーが良かった。





『うほほいシネクラブ』内田樹

ISBN:978-4-16-660826-3 文春新書 2011年 文芸春秋



★★★★



第1章 2004-2008年まで読売新聞「エピス」に書いた映画評=うほほいシネクラブ
第2章 「街場の映画論」 著者のブログとその他の寄稿から映画関連のものを。
第3章 「小津安二郎断想」 小津安二郎DVDブックに掲載したもの。
第4章 1998-2003年 著者のHPに書き続けたもの。



アレ見た?見たよー、というときの映画の感想レベルから、構造論な映画評まで。映像作品を、文学的な言葉と評論方法で述べています。



映画は、映画について語られることを欲望しているジャンるである」との持論をお持ちだそうで、確かに映画もバックステージものが多いジャンルであるし、役者は役者であることを役柄と同時に表現しています。



わりと気楽に書いているものも多いので、気になる作品のタイトルを拾い読みしてもよし、じっくり映画論について思いをはせてもよし。



気に入ったのは、織田裕二がけっこう好き、と書いてたとこ。なぜかといえば、からっぽの役者であるから、と述べています。自己主張すべきものを持たない役者ではないか、との評価。私も織田裕二が好きで、からっぽ、のところでそういう言い方があったか!と膝を打った。
アレだけ濃いタイプなのに、思いっきり外面で攻めてくるのが気持ちいいのだ。



それから、レオナルド・ディカプリオが素敵だ、とも。先生、私と好みが似てるのかしら。



小津安二郎について大人の態度を学んだとのことだが、読んでいるとちょっとヤダなぁと感じました。昔の男って、きっとイヤだと思う。イヤなやつと思いながら見るのも一興か?



2011/12/11

『気狂いピエロ』

Pierrot Le Fou 1965年 フランス/イタリア



監督/ジャン=リュック・ゴダール
ジャン=ポール・ベルモント、アンナ・カリーナ



★★★★



痛々しい映画。



ただし、あまりに名作の誉れ高いので、自分の★が自分だけの判断なのか自信がなくなる。



ゴダールの映画を見るより先に、ゴダール解説を読んでいるほうが多いのは後から追いかける世代の(仕方のないことだ)かなしさよー。この時、アンナ・カリーナとは離婚寸前だったのだったかしら、そういう私生活の愛の終わりを前提に見てしまうのが、良いのか悪いのか。作品だけを見たいのに、どうしても介入してきちゃうなぁ



小さい頃に見た『勝手にしやがれ』では、日本人にはない濃い表情にカッコよさを見つけられなかったものだった。今ならわかる、ベルモントはいい男だ・・・
この作品中では、昔の恋人であるマリアンヌへ、社会的な自分を捨てた先の光明のように気持ちを向けていたのが、痛々しく切ない。



見終わって、物語の筋を思い起こし、まぁそういうことかな・・・と理解はできるものの、冒頭のベットで死んでる男がなんなんだよ、ってしばらく良くわからなかった。
死体が家にある女とパリを脱出、ガソリン代を踏み倒すにしても、後半の金の取り合いにしても、とても暴力的なことに、戸惑ったままでした。



どう考えても、マリアンヌは悪い女であって、かつ結ばれない相手だった。最期に謝罪したにせよ、彼が望んだ二人はひとつ、にはなれない絶対的にすれ違っている二人のまま。



ずっと、「ピエロ」って呼ばれるたびに、「オレはフェルディナン」と何度も答えるのも、これまた痛々しい。名前は世界からそれを切り離し、特定するものなのに、男の望んだもので自分を見てないことが、何度も何度も繰り返される。



赤い色、青い空、風の音と、盛り上がった途端にふっと切れる素敵な音楽。跳ねるように歩くマリアンヌに翻弄される喜び。



時間が時々、前後しているらしいスクリーン上の展開。



こういう断続的な動きそのものが、男の見ていた世界のよう。殺人や家庭を捨てたことも、マリアンヌとの世界の前ではかすんでいるらしい。



最期に自分の家に電話したのが、現実のそれまでの自分との接点へのコンタクトで、しかしもう戻れないことを確認してしまったともいえる。
ダイナマイトを頭に巻いて、導火線に火をつけてから、慌てて消そうとする手のショットに痛々しさもここまで来ると、確信犯ですね。ゴダール、どっぷり痛々しさを発散してくれよ!という気分になりました。